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ベストチョイスシンドローム

あらゆることに対して最適化を目指す最良選択症候群

NHK BS世界ドキュ「ウィンストン・チャーチル」を観ました。

チャーチルと言えば、第二次世界大戦において、ヒトラーのドイツ軍によるイギリス空爆(バトルオブブリテン)にも耐え忍び、ヨーロッパを席巻しつつあったナチスドイツ軍に抵抗し、後にアメリカ、ロシアの参戦を得て、ドイツ軍に勝利した立役者として知られている。しかし、イギリスにおける政治家としての経歴はよくしらなかった。NHK BSでフランス制作の「 BS世界ドキュ ヨーロッパ戦線終結70年 ウィンストン・チャーチル~20世紀の巨人~ 」の放映があったので、録画して観てみた。

チャーチルは、裕福な貴族の家庭に生まれた。父は政治家として活躍し大臣に就任したが、党の活動に背いたことが裏目に出て失脚した。チャーチルの子供時代は、成績不良、素行不良、向上心なしと大変な悪童振りで、政治家の父親は見限っていたようだ。全寮制の学校に入学後は、寂しい思いをし両親に手紙を書いたが、多忙な両親は年1回しか学校を訪問しなかったそうである。学校卒業後は、父は見込みのないチャーチルを軍隊に入隊させた。豈に謀らんや、チャーチルは軍隊で優れた能力を発揮し、アフリカ等の戦線において活躍した。帰還後に選挙に出馬し、父親と同じ政治家の道を歩みはじめた。

父親に認められたいという強い思いを胸に戦績や巧みな弁舌で政治家として頭角を現わし、若くして大臣のポストに就いた。また、海軍大臣の時代には、戦艦、航空機等の海軍増強を図り、これが後の第二次世界大戦で活きてくることになる。ただ、政治家としては、第一次世界大戦において立案した作戦で多大な犠牲者を出し、父親同様に政治家として失脚してしまう。

しかし、ドイツがミュンヘン協定を反故にしてからイギリスのチェンバレン首相への失望が高まり、対独強硬派のチャーチルが首相となった。軍略に長けたチャーチルは、海空で独軍に対抗しドイツ空爆も行ったが、強力な独軍に苦戦し、イギリス空爆で悲惨な状況が続く。しかし、独軍に対する露軍の反撃や、真珠湾攻撃を契機とする米軍の参戦により戦況は反転する。チャーチルがアメリカ議会で行った演説は有名で、この時のチャーチルのVサインが後にピースサインの元になったと言われている。

第二次世界後、チャーチルはアメリカとロシアに比べイギリスの影響力は低下したと感じたようだが、絵や執筆に取り組み世界を旅したようだ。1965年1月24日、父親の没後ちょうど70年後の父親の命日と同じ1月24日に90才で亡くなった。亡骸は父親の墓地の近くに埋葬されたそうである。父親の影を追い求め政治家として父親を超える存在になった。

政治家の政策が正しかったか否かは、その時代にもより判断が難しい。その後の歴史が評価するものかもしれないが、ナチスドイツが欧州全域を支配するには至らなかった。歴史にIfは禁物だが、もしチャーチルが居なかったらどうなっていただろう。

真珠湾攻撃の報を聞いたときチャーチルは喜んだという話がある。不謹慎な表現に聞こえるかもしれないし実際は判らないが、ナチスドイツがヨーロッパを席巻しつつあり、イギリスが相次ぐ空爆で疲弊しきっていた状況下においては、少なからずそのような心境であったのは想像できる。