ベストチョイスシンドローム

あらゆることに対して最適化を目指す最良選択症候群

「釣り」で子供に考える力を習得させる

昨今、グローバル人材を育成するため「考える力」を強化しようと教育改革や入試改革が取り上げられている。正解のない問いをグループディスカッションで発表したり、自発的に企画した修学旅行で体験学習をするなど、教科書で与えられた正解のある問題ではなく、自分で考え行動することを重視するという趣旨で良いことだと思う。

ただそれらの記事を読むと、自己満足に終わらないか、「問題解決ごっこ」ではないか、机上の空論を増やすだけではないか、乏しい知識の低いレベルの議論に終始しないかなど疑問に思ってしまい、本当にそれで良いのかと思ってしまう。

まず議論や問題解決の根拠になる豊富な知識がなければ、正しい結論を身につけることはできない。昔と違いインターネットとモバイル通信が発達した現代では不足する知識はネット検索で収集できるため知識は不要という考えもある。しかし、どんなに検索能力が優れていても、体系的な知識がなければ瞬時に相手に返すことはできないし、ある事柄に関連して想起する検索語が思い浮かばなければ議論が広がらない。乏しい知識の上の議論は、良いか悪いかの「好み」の問題に終始してしまう。

グローバル人材を育成するためには、やはりアメリカの名門大学のように絶対的な学習時間を増やさなければならないと思う。大学入試制度を弄るのではなく、大学のカリキュラムを変えなければ効果はない。日本の高校生は世界的にみても多くの分野で優秀である。ところが大学がヌルいため優秀なビジネス人材を輩出できないでいる。効率的な勉強は大事だが、学習能力は基本的に勉強時間に比例し裏切られることはない。大学における日米の勉強時間の差が社会人の能力差になっているのではないかと推測している。

また、中学や高校で自分で企画して行動することは勿論大事だが、逆に現代の子供達はそのような機会が少なすぎると思う。前に記したが(夏休みの自由研究で医大に行った思い出 - つまらない日記)、自分で企画して行動するといっても、小学生の夏休みの自由研究レベルである。

歴史、文学、作文、数学などの知識、つまり基礎学力の充実が大事であり、詰め込み教育でもよいから暗記させるべきだと思う。その上で判断力、分析力、企画力を総合的に養うために有効なこととして「釣り」を挙げたい。

以前から親子で釣りに行っていることを記してきたが、最近釣りに行く時は、子供に「クルマの運転はするからどこに行って何を釣るかは考えておいてくれ。」と言っている。小学校低学年のうちは無理だが、高学年になると、釣り場ガイドを見て、インターネットで調べて、ポイントの候補を挙げ、グーグルマップでクルマの所要時間を調べる。この時、私に実際何カ所廻ることができるか聞いてくるのでアドバイスしている。それから釣具を調べて不足するものを確認してから釣具店でハリ、錘、ブラクリ、ブラーなどを買う。天気予報で風や波を調べて、クルマに必要な道具を積み込んで朝早く起きて出発する。早朝営業の釣具店でエサが、どの位の量が必要か検討する。これまでを全て子供が行っている。

釣り場に着いたら海は防波堤の高さなどを見て危険な所は避ける。場合によっては計画していた場所を断念して他に行くこともある。渓流に行ったらウェーダーを着用して熊除け鈴を着けて入渓する。場所もクルマを停めることができるか、釣りが可能な雰囲気か見極める。これらは最終的には親の私が判断するが、子供と話し合いながら判断する。

釣りを始めたら、何時引き上げるかが問題である。釣れる見込みがなければ時間を有効活用するためには早く移動が必要だし、釣れたら釣れたで、折角来たのだから周辺の釣り場も探りたいので適度に引き揚げたい。夕刻まで時間は限られていて、遅くならないうちに家に帰らなければならない。

釣れないときはエサを変えたり、仕掛けを変えたり、深さを変えたり、港外から港内などちょっとポイントを変えたりすることが必要である。釣れたときはメジャーで大きさを測ったり、写真を撮ったり忙しい。根掛かりしたり、針が飲み込まれたり、ベイトリールがバックラッシュをおこしたりトラブルは付き物である。

とにかく釣りは判断の連続であり、自然相手で読めないことが多い中で、行動することが必要となる。子供達は小学校低学年の頃から釣りをしているので何となくこの判断力が身についている。実社会でもこの判断力は間接的に役立っていると思う。

机上で議論ばかりしていると「ヒト」にばかり気が行って、本質的・総合的な判断力や行動力が十分に養われないような気がしてしまう。子供達は、将棋やゴルフもやっているが、他人から用意されていないフィールドワークの機会があれば良いと思う。