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ベストチョイスシンドローム

あらゆることに対して最適化を目指す最良選択症候群

床屋について

これまで生活に必要なこと・ものについて記してきた。家、車、服、スマホ、クレカ、眼鏡、ゴルフ、釣りなど色々あるが、生活して行く上で年齢に関わらず必要なこととして「床屋」がある。女性なら美容院となるかもしれない。

先日、今年になって初めて床屋に行った。この数年は、家から徒歩10分くらいの商業施設内にある全国チェーンの安い床屋に行っている。顔剃り、シャンプー付きで税込1620円。昔からみると随分安くなったものである。最近は安い床屋も増え、偶に近所にできた床屋に行くが、車を停めるのがやや面倒なので、いつもの全国チェーンの床屋に通っている。

もう中年オヤジなので髪型も無頓着で、髪が伸びて鬱陶しくなると床屋に行くという感じで、殆ど二ヶ月に一回程度、面倒だか行くという感じである。床屋に行っても、店員と話すのも面倒で黙って半分寝たように瞑想している。安い床屋なので、担当もまちまちで、先日もいつもの通り「横後ろ刈り上げです上は適当に切って」というと、「上はどの位切りますか?」としつこく聞かれて閉口した。多少長かろうが短かろうが文句は言わないからやってくれと思ったが、もう疲れているので黙っていたら「前髪は眉毛の上ですか?」というので「それでいいです。」というと「じゃあ合わせて切りますね。」となった。それでも、床屋に行くとサッパリして気分は良いものだ。

床屋は面倒だけど生活して行く上で無くてはならない。思い返すと幼少の頃は判らないが、5歳くらいから独りで近所の床屋に月一回のペースで通っていたと思う。お金を持って床屋に行くのは、子供としてはある意味一人前になった気分になれると思う。床屋のおばさんも子供には親切だった記憶はある。それ以来、色々な床屋に行ってきた。

小学生の時は、いつもガムをくれる床屋。洗髪の時に痛いくらい爪を立てるおじさんの床屋。地方都市に引っ越して行った床屋は都会から来た子供と感心していた。(そんなに田舎ではないのだが)中学生の時行っていた家の近くの床屋は、お兄さんの腕がよく恐そうな兄ちゃん達がパーマをかけにくる床屋だった。ところがお兄さんが別の店に移って別のおじさんになったら、腕が悪くて時間がかかるようになった。長時間待っていたら恐いお兄さんが缶コーヒーを買ってくれたことをよく覚えている。その後、そのおじさんに仕上げの時にもう少し短くというと怒られて二度とその床屋には行かなくなった。

高校の時は、近所のおばさんの床屋に行ってよく喋っていた。大学に合格したと言ったら、その時はタダにしてくれて驚いた。後で考えると、大学入学後も継続するような営業なのかと感心した。その後、緩いパーマをかけてみようと思い、美容院兼床屋みたいな店に通った。ここは少し洒落た店で、地方の雑誌も沢山あり、店長も渋い兄さんで、よく喋って楽しんだ。

就職してからは、一度美容院みたいな店に行ったが、パーマの種類のことで色々言われたので、普通の床屋に通っていた。会社の独身寮が変わり、行くようになった床屋は、普通の床屋なのだが、私の担当になった兄ちゃんが、自民党や首相がどうしたとやたら政治の話をするので少々参ったが、それはそれで記憶に残っている。転職してからは、件のパーマの床屋に復活して通っていたが、結婚したあたりから所謂ディスカウント理容室が出来てきて、価格重視で幾つかの店に通って、何かちょっと嫌だなと思う所は止めて、現在の床屋に落ち着いている。前に体調が悪い時に家の近くの昔ながらの3300円のおじさんの床屋に行ったが、タバコ臭いのが気になった。髪型をカッコつけてもしようがない年なので、価格が安い今の床屋で満足している。

床屋といえば志賀直哉の「剃刀」という作品がある。この話を思い出すと床屋も信頼があって成り立つ商売で、店主や店員との相性が大きいような気がする。ちょっとでも嫌なことがあると行かなくなったなと思う。中年オヤジとしては、アイドルみたいな若い女の子の床屋とかあるといいなと思ったりするが、ほかにスマホを見ながら髪を切ってくれる床屋もいいと思う。しかし、床屋の時くらい脱スマホで、ゆっくり瞑想に浸るのも貴重な時間かもしれない。

志賀直哉 [ちくま日本文学021]

志賀直哉 [ちくま日本文学021]

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