ベストチョイスシンドローム

あらゆることに対して最適化を目指す最良選択症候群

想い出の民芸品オルゴール


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(古民家オルゴール)

これは私が修学旅行のお土産として約三十年前に飛騨高山で買ってきた民芸品である。水車の部分がオルゴールのねじになっていて、水車を回すと童謡「赤とんぼ」が奏でられる。屋根の部分に鍵などをかける所があって、屋根を上げると小物入れとなっていて実用的な面もある。現在は私の部屋に置いてある。

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(オルゴール曲「赤とんぼ」)

この民芸品オルゴールは、土産品といっても、親に買ってきた物ではなく、叔父・叔母の家に買ってきた物である。修学旅行の土産品にしては結構大きな物で、友達からいきなり随分大きなモノ買うなあと言われたり、母親からは家への土産は貧相な飾り物だけなのに叔父・叔母の家には立派なモノを買ったと僻まれたりした。叔父が亡くなった後、数年前に叔母が亡くなった時、家の整理の手伝いに行った時にもう要らない物なので買い主の私が引き取ってきたものである。

叔父・叔母は、国道脇の小さな山の麓の田舎暮らしであったが、幼少の頃から電車やバスに乗ってよく遊びに行っていて、少し年上の従兄弟がいたことから随分遊んでもらっていた。私が四歳くらいの時に姉と二人でバスに乗って遊びに行った時は、姉がバスに乗ってから財布が無いのに気付き、焦っていたら私が持っていた「101匹ワンちゃん大行進」のカバンにお金が入っていて窮地を救ったというのが実家の定番ネタである。私が小学生の時は、独りで電車に乗って行き、従兄弟に釣りやスキーに連れて行って貰った。夏休みには従兄弟が集まり、花火や山登りをしたほか、二階で親に気付かれないように麻雀をしたこともある。大きな池があり、その池で鯉釣りをしたり、水溜まりにいる雨蛙を捕まえて小さな池の虹鱒の餌にしたり(少々残酷?)と子供には楽しい場所だった。

叔父は戦争体験者で恩給を受けていたようだが、小さな会社を経営していたので、お年玉も多くくれたし、私が大学に合格した時もお祝いを戴いたと記憶している。合格発表の日には、当時合格者名を放送するローカルテレビ番組を初めからずっと観ていたと聞いている。私の姉が高校卒業の時は、叔母がお金を出すから大学に行かせるよう言ってくれたが、母が大学なんか行かなくていいと断り結局行かせなかった。

昨年、実家に行った時に、今迄話題になることは無かったが、今更ながら何故姉を大学に行かせなかったという話になった。父は大企業に勤めていたので何とかなったのではないかと思うが、私は行かせて貰ったが、両親とも男尊女卑だったのではないかという結論になった。両親ともそれを認めたのか言葉少なだった。

何れにしても叔父・叔母は、親以外で、私の成長に大きな後ろ盾となって見守ってくれていたと思う。生前に何もお礼が出来なかったが、叔父・叔母が海外旅行に行く時に、社会人三年目だった私が成田空港に見送りに行き、空港内の寿司屋で二万円くらい分頼んで、トロなどを美味しいと言ってくれたことが唯一の恩返しであった。この時は、叔父も私にお代を払わせてくれた。

自分の子供が大きくなると、あの頃の体験が如何に貴重なものだったか感じさせられる。自分の子供にも同じような体験をさせたいと思っている。古き良き時代の話である。