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ベストチョイスシンドローム

あらゆることに対して最適化を目指す最良選択症候群

「戦艦武蔵のさいご」を読みました。

「戦艦武蔵のさいご」を読んだ。この本は小学校高学年向けの本で、小4の次男が学校の図書館で借りてきた本である。次男が「この本面白いからお父さんも読んだら。」と言われ、小学生向けの本なんて読むのも面倒と思ったが、珍しく次男が薦めることと、1~2時間で読めそうな分量だったので読んでみることにした。

内容は、レイテ沖海戦において戦艦武蔵の出航から沈没まで乗員であった海軍兵の著者がみた様子を綴ったものである。出航時は、仲間との語らいが綴られているが、米軍の攻撃が始まると、艦上で如何に仲間が惨い死に方をしていったが、著者の目を通じて語られる。更に「総員退去」の命令が出て武蔵がいよいよ沈没する段になった時の更に惨憺たる状況が描かれている。

レイテ沖海戦では、艦隊に空母が無く戦闘機の護衛も無かったことから、敵の多数の戦闘機攻撃に艦上の機銃で対抗するしかなかった。武蔵には勿論46cm主砲が備わっていたが、対戦闘機には如何程の効果があったのか。「大空のサムライ」を読んでも、戦闘機の撃墜には好位置の至近距離からの機銃攻撃が必要なようだが、100機以上の編隊の集中攻撃にあった武蔵は、魚雷や爆弾を一方的に被弾した。

シブヤン沖におけるこれらの一方的な攻撃を受けて負傷・死亡していく兵員達の描写がリアルで、もしこれを映画「男たちのヤマト」風に「男たちの武蔵」として映像にしたら「プライベート・ライアン」の冒頭シーンよりも壮絶な相当なグロい映像になっただろう。爆撃で木っ端微塵になる人間を著者の目で描いている。命を奪われる恐怖が伝わってくる。

また、敵の攻撃により武蔵が浸水し傾いていく経過も描かれていて、何故弩級戦艦武蔵が沈没してしまったが判るようになっている。武蔵の設計図面も掲載されており、これらの情報から著述時に再構築された部分もあると思う。ネット上で一部指摘があるようだが、このストーリーの全てが著者の眼を通したものではなく、後に加筆された部分はあるという前提で読む方が正しいと思う。

更にこのストーリーの怖い所は、「総員退去」後の無秩序の修羅場である。助けを求めても放置される船倉の負傷者は、水死から逃れるために決死の思いでもがき蠢いている。甲板上の者も甲板の傾きとともに落下する重量物に押し潰される。救命ボートの多くは出航前に外されており、僅かな救命ボートも砲撃で破壊され使用できない。水中で浮かぶ物を奪い合い海に飛び込む。海中で浮遊物を奪い合い殴り合う。武蔵が海中に沈む際の強烈な渦巻きに巻き込まれる。

沈没のシーンは、思わず映画「タイタニック」を連想するが、著者は傾く甲板を何とか移動し、スクリュー横から海に飛び込み九死に一生を得る。海中で一人離れて漂い気を失うが何とか駆逐艦清霜に救出される。

著者が記したこの本のあとがきを読むと、戦艦プラモデルが子供に人気のようだが、戦艦は普通の船とは違う。兵器が搭載されていて、それは人を殺すためのものである。このことを理解してほしいと述べられていて、戦艦プラモデル(マイクロエース1/600プラモデル大和完成 - つまらない日記)、空母プラモデル(ハセガワ1/450プラモデル空母「赤城」完成 - つまらない日記)を製作している私としては思うところもあるが、平和を願う気持ちは変わらない。

著者の渡辺清氏は、自身の戦争体験を綴っただけの人かと思ったが、戦後、いろいろ活動をされていたようだ。本作も短編だが、凝縮されたただならぬ内容であることも納得できた。この本は1974年に童心社から出版されたようだが、久しぶりに骨太な作品を読んだ気がする。これを読むと「永遠の0」(百田尚樹「永遠のゼロ」を読みました。 - つまらない日記)あたりが妙に軽く感じてしまう。少々大袈裟に言うと、現代において仕事などで多少大変な事があっても、命を失う訳ではないのだから平気だという気持ちになれる。小学校の図書館にある図書も侮れない。渡辺清氏は、1984年に逝去された。


戦艦武蔵のさいご (フォア文庫 C 17)

戦艦武蔵のさいご (フォア文庫 C 17)