ベストチョイスシンドローム

あらゆることに対して最適化を目指す最良選択症候群

徳川家重と大岡忠光

最近ハマっている戦国鍋TVで「BAKUFUって統べろう(徳川十五代将軍)」という歌がある。江戸幕府の初代から十五代将軍を歌にのせて覚えようという歌である。江戸幕府の将軍などは苦手な方で、初代家康、三代家光、五代綱吉、八代吉宗、最期の慶喜くらいしか正直覚えていない。勉強になる歌である。

「五代目は綱吉。みんなで生類憐れんじゃおう」、「八代目は吉宗。俺暴れん坊。増税ごめんな。五公五民な。」など何となく歴史が学べる内容になっている。他の将軍の内容も、鎖国文治政治田沼意次、大塩(平八郎)、天保の改革公武合体、大政(奉還)など大体聞いたことがある内容で解るのだが、九代将軍家重の内容は解らなかった。

「九代目は家重。大岡忠光。君は分かるよね僕のメッセージ。」大岡と言えば大岡越前とかしか思いつかないので、初めはそんな関係を言っているのかと思った。因みに調べたところ、大岡越前とは、大岡忠相のことで、八代将軍吉宗の時代の町奉行であった。大岡忠光は、大岡忠相の遠戚にあたるそうだ。

ちょっと気になったので大岡忠光のことを調べてみた。小国の旗本の家に生まれ、十代から徳川家重の小姓として仕えた。家重が将軍となった後も側用人として仕え、最終的には2万石の領地を得た。

徳川家重のことを調べてみると、家重は生来虚弱の上、脳性麻痺とも推測されている障害により言語が不明瞭であったとされている。家重に子供の頃から仕えていた大岡忠光は、不明瞭な家重の言葉を唯一理解できたため、異例の出世をしたとのこと。ただ大岡忠光は権勢に奢ることはなかったと言われる。

徳川家重が将軍であった時代は、享保の改革による増税などで一揆が起きたりしていたようだが、徳川吉宗の時代と田沼意次の時代との間で、あまり目立った大きな事件はなかったようである。1760年に大岡忠光が死去すると家重は長男・家治に将軍職を譲って大御所に退き、翌年1761年に大岡忠光を追うように亡くなった。

「BAKUFUって統べろう」にも、調べてみると深いストーリーがある。